自作曲【夕陽の調】

令和5年2月10日、首都圏は南岸低気圧と寒気が入り、雪がちらついています。

masa です。

今日は f さんの自作曲で秀逸な楽曲がYouTubeにupされましたので、紹介します。ぜひ聴いていただけると幸いです。

いかがでしょうか。いつもお聴きいただき、ありがとうございました。

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ピアノ自作曲 f_piano 「遠い空見て何思う」

令和5年2月2日(木)首都圏は風が冷たくふいている曇り空です。

masa です。いつもご訪問いただきありがとうございます。

最近は f さんのピアノ自作曲を投稿させていただくことが多いです。

週末に材料を用意して、ほかのジャンルの投稿を準備したいと思います。

コンスタントにYouTubeにピアノ自作曲を投稿していらっしゃる f さん。

僕はいつも自作曲を視聴させていただいて、感想やコメントを手書きのメモで f さんへ手渡しています。

今日もこのブログに貼り付けましたので、ぜひ視聴していただけると幸いです。

いかがでしょうか。 f さんの自作曲を聴いて癒されている僕です(^^)/

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ピアノ曲 f_piano vol.2

令和5年1月23日(月)首都圏は冷えて小雨まじりの空模様です。

masa です。いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

今日も f さんの作品を投稿したいと思います。ぜひ聴いていただけますか。

pawder snow、粉雪。いかがでしょうか。

ちなみにアイキャッチ画像は数年前の東京のボタ雪です。

また、紹介させていただきますね(^^)/

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ピアノ曲 f_piano Vol.1

令和5年1月21日(土)首都圏は北風がふいて冷え込みました。

masa です。いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

今日はいつもと趣向を変えてみました。

僕と同じ事業所に通う仲間の f さん。少しずつですがお互いの個人的なこと、興味などを共有して親交を深めてきました。

f さん、少年期にピアノを習っていたそうです。中学生の頃からオリジナルの曲を創作なさっていて、今はパソコンとシンセサイザーを使って作曲されています。YouTubeに作品を投稿されているとのことで、f さんより「ぜひ、聴いていただけますか?」とf さんのチャンネルを教えていただきましたので、早速、視聴してみました。

どの曲も清らかで美しく、f さんの澄んだ心が感じられました。

僕のブログに掲載することの許可をいただきましたので紹介させていただきます。
※(著作権は f さんに帰属するものです。)

読者の皆さんもぜひ聴いてみてください。

いかがでしたでしょうか。

曲が気になった方は、ほかの曲もありますので、イイネとチャンネル登録をお願いします(^^)

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僕のしくじり先生。 僕のようにはならないで…。

日没

令和4年7月16日(土) masa です。いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

首都圏は戻り梅雨な様子。

ビールの投稿が多めの masa ですが、今回は僕の《しくじり人生》をテーマに投稿したいと思います。

1.小学生までの成育歴

庶民の家に生まれた僕。裕福ではなかったけれど父親が一生懸命に働き、アクシデントも多々ありましたが不自由を感じたことはあまりありませんでした。生まれたころから身体が小さく、背も学年で一番低かった僕です。

幼稚園の頃の冬のある日、事故が起きました。石油ストーブの上に置いていたやかんに入っていた煮立ったお湯。弟と遊んでいて引っ掛けてしまい、大やけどを負い1ヶ月以上入院しました。やけどが治っても一生消えない跡が残ってしまいました。

小学校の頃の将来なりたかった職業は科学者、宇宙飛行士でした。また小学校3年生からスイミングクラブに通わせてもらいましたが、級が上がるにつれてだんだんと練習がきつくなってきました。選手育成コースに上がってからは小さな体では皆についてゆけず、練習をサボることが常態化しました。スイミングクラブから親に連絡があり、スイミングクラブをやめることになりました。根性もありませんでした。

2.中学生の頃

中学校に入学して入部したのは軟式テニス部。先輩のいじめにも遭い、レギュラーをはじめからあきらめていた僕はやはり練習をたびたびサボりました。このことに部長をはじめとする部員たちに体育館の裏に連行され、つるし上げをくらいました。

今思うと軽い気持ちで軟式テニス部に入部しましたが、もっと部活だけではなくやりたいことを考えるべきだったと後悔ばかりの中学生時代でした。

3.高校に入学してから

中学生時代の部活の経験から、高校生になってからはお試しに文化部を覗きましたが、すぐにやめました。

高校生になり、折しも80年代の洋楽ブームが到来し、これに感化され、自分もバンドがやりたくなり、バンドを組むことになりました。担当は今考えるとリズム感が致命的にないにもかかわらず、ドラムを担当しました。スタジオに入って練習することが始まりました。まもなくリーダーでGuitar担当のA君のある言動にヤル気が一気になくなりました。このことをA君がほかのバンドのI君に相談したようです。僕はA君、I君にトイレに呼び出され、「お前、バンドどうするんだ!」と責められ、ショックを受けました。結局バンドを脱退しました。今思うと迷惑をかけたな。

それから弟が使っていた楽器(ベース)をいじるようになりました。

また、学校で禁止されていたバイクの免許(原付)を取得し、ギア付きのバイクでいろいろと走り回りました。

4.将来の進路について

勉強があまり好きではなく、いつもラクしたいと思っていました。本来なら高校生の頃には立てておかないといけない将来のビジョンもあまり考えてしませんでした。そして受験勉強が嫌で大学入試を受けることを避けました。

高校3年生になり、いよいよ何かしらの進路を決めないと迫られて安易に高校卒業後は楽器をやろう!と思い(今思い返すとこれが甘いというか本当にバカでした)、青山レコーディングスクールに入学しようと思い、叔母と親に入学金まで出してもらいました。

ところが、その青山レコーディングスクールに入学するタイミングでスクールが経営破綻し、払った入学金も戻ることなく、無職になりました。

しばらく呆けて暮らしました。ファミコンばかりして過ごしました。

高校生の頃に将来のビジョンをちゃんと考えることもなく、ラクしたいばっかりに安易に選択した結果がコレでした。

今考えると音楽で食べていけるはずもなく、これでよかったのでした。

5.次にどうするか

甘やかされて育ったところもあり、アルバイトも長続きしませんでした。

19歳のある日、高校生の頃から愛読していた漫画雑誌、少年ジャンプに一つの広告が掲載されていました。

それは「東京アカデミー公務員専門学院」の短期講習の広告でした。これをみて公務員試験(高校卒業程度)を受験しようと思い立ちました。それから少しばかりのバイト代で短期講習と通信講習を受けました。

そして受験して一次試験(学科)を通過したのは国家公務員Ⅲ種と地元の地方自治体でした。2次試験は面接試験でした。しかし国家Ⅲ種と地方自治体の2次試験の日が重なってしまいました。ここで僕は地元の地方自治体を受けることを選択しました。世間知らずだった私はリクルートスーツで受験するという常識を知らず、ジャケットにネクタイ、パンツというスタイルで面接試験に行きました。後日、合格発表の掲示板を見に行きましたが、僕の番号があるはずもありませんでした。

そして時代は変わり平成元年となりました。再度公務員試験に臨むことを決めて、東京アカデミー公務員専門学院の夏期講習を受講しました。

受験したのは国家Ⅲ種と東京都Ⅲ類(ちょっと記憶がさだかではありません)、一次試験を通過したのは国家Ⅲ種でした。前回の失敗を踏まえ準備して2次試験(面接試験)に臨みました。結果は合格でした。

6.就職、職業生活とプライベート

外務省、警視庁、厚生省(当時、現厚生労働省)、農林水産省など複数の官庁の3次面接を受けましたが、縁あって採用されたのは科学技術庁(現文部科学省)金属材料技術研究所管理部会計課でした。ここでは物品係に配属されました。担当した業務は研究所で使用する研究用と事務用の消耗品購入発議、物品の検査、帳簿管理でした。

高くなかったけれど自分の給料が入るようになり、実家暮らしで自由なお金ができた僕は家にお金を入れることもなく、好きなことにお金を使っていました。400ccのバイクを新車で購入したりしました。楽しかった時代でした。

ここでの生活でも若かった僕は就職したことに満足し、将来のことも考えていませんでした。貯金や投資などのロクな資産形成も考えませんでした。

研究所が平成5年に筑波研究学園都市に移転することが決まっていました。そのことをわかっていたのかわかっていなかったのか、やっぱり地元を離れて筑波(現つくば市)に行くのが嫌でした。

そこで僕はキャリアアップを考えました。それは公務員試験の上級試験を受験することでした。高校卒業程度公務員試験でもお世話になった東京アカデミー公務員専門学院に仕事終わりと土日の休みに通い勉強に精を出しました。

平成3年度は国家Ⅱ種、東京特別区Ⅰ類、東京都Ⅱ類を受けました。2次試験まで受かったのは国家Ⅱ種。この時は内部でキャリアアップを考えていました。しかし、課長が人事にかけ合うもそれは叶わず…。今思えばほかの官庁に転職しておけばよかった(涙)。

仕切り直しの今から30年前、平成4年度受験したのは国家Ⅱ種、東京特別区Ⅰ類、東京都Ⅱ類。すべて2次試験まで突破しました。3次面接は一番給料の良さそうな特別区Ⅰ類を選択。希望の区役所を5か所書きましたが、第1希望の区役所にはフラれて第2希望の某区役所の3次面接を受け、無事内定・採用されました。

7.転職

平成5年4月1日、某区役所に転職。配属されたのは福祉事務所の身体障害者福祉担当。科学技術庁時代にはなかった区民との接遇。51もの事務事業が本庁から移管され現場は大混乱していました。ひっきりなしにかかってくる電話と区民応対。すぐに僕は疲れて精神的に不安定になりました。そして地元の精神病院を受診、精神安定剤などを処方してもらいました。なんとか仕事にも慣れてきた新人1年目、年度末に同僚と飲みに行った帰りの駅で激しい腹痛と発熱、救急搬送され1週間入院することに…。診断名はウィルス性胃腸炎でした。

そのころ職場の先輩で11歳年上の女性に気に入られ、彼女いない歴=年齢だった僕は初めて女性と付き合うことになりました。その後同棲生活に入ることに…。またも場当たり的で今が楽しければそれでよく、結婚や子供のことを真面目に考えていませんでした。

また、平成3年式の車(スカイラインGTS-t TYPE-m)をローンで購入しました。

身体障害者担当を3年間勤めて人事異動となりました。異動先は本庁の国民健康保険課資格賦課係でした。電話と窓口が忙しい職場でした。担当はシステム担当、委託業務、各種統計、制度改正(介護保険制度)にともなうシステム改修などをやりました。勤務評定は優秀と評価されました。うぬぼれていました。僕は天狗になっていました。私生活と言えば旅行に車の改造にと湯水のようにお金を使い、貯金や投資などの財産形成もしませんでした。

国民健康保険課には6年間在籍し、次の異動先を希望する申告書に一部派遣の職場を書いたところ、課長から『清掃の仕事はどうだ?』と聞かれ僕は承諾しました。

8.発病

平成14年度になり、主任として派遣された先は東京清掃一部事務組合某清掃工場管理課管理係でした。都区制度改革で東京都の職員の中に僕は一人放り込まれました。清掃工場の職場は第1工場、第2工場、不燃ごみ処理センターがあり、先輩職員からは『他の清掃工場の3倍忙しい』と言われました。残業もせず、孤軍奮闘するも次第に疲れてきて体に異変を感じました。また一人の先輩職員とウマが合わず、ストレスが溜まりました。そこに新しく担当した仕事がやってきました。正直その仕事が僕にできるのか不安でした。家に帰宅して犬の散歩しているときに考えました。『負けてたまるか!』と。

しかし、その晩は全く寝付けずに朝を迎えました。辛くてもそのまま出勤しました。僕の様子がおかしいのを見かねた課長が東京都職員共済組合青山病院に無理を言って当日予約を取ってくださり、神経科を受診しました。神経科のドクターに話を聞いてもらい、精神安定剤などを処方してもらい、その日は帰宅しました。神経科には定期的に通院するよう言われました。新しくやるはずだった仕事はウマが合わない先輩職員にやっていただきました。このことに自信喪失し、後ろめたくなりました。あまりにも辛くて通勤電車の中で泣きながら出勤しました。次第に元気もなくなってきて、抑うつ状態になり既存のお薬に加え、抗うつ薬が処方されました。それでも抑うつ状態があまり改善されず、係長から『しばらく休養しますか?』と聞かれ、ドクターに診断書を書いていただき、病欠を取ることになりました。結局2ヶ月程休養し復職しましたが、ボロボロだった僕は仕事のことで係長に怒られました。弱った心が折れた僕はもう職場を異動したいと思い、申告書を書きました。課長と人事の計らいで1年で清掃工場を去ることになりました。

平成15年度になり区役所に戻されました。異動先は某図書館事業係システム担当でした。病気を抱えたまま慣れない図書館業務に職場不適応に陥り、病欠を取ることになりました。2ヶ月くらいの間、休みました。その間に管理係へ課内異動となりました。復職して業務軽減していただき、ゆっくりと仕事に取り組みました。平成16年度になり担当が変わり、施設管理の仕事をしました。ほかの人から比べれば業務量は配慮されていたと思います。うつ状態で辛くても1年間頑張りました。平成17年度になり担当替えになり、歳入などの仕事を担当することになりました。ここで仕事の内容が自分に合わず、不適応になり、抑うつ状態で再び病欠を取り、今度は5か月休みました。とにかく任された仕事が嫌で職場を異動したいと強く思い、労働組合にも掛け合いました。

そして、平成18年度の異動先は本庁の保健福祉部でした。母子保健と成人の各種健康診断の事業を担当する係で忙しい職場でした。このことに面食らって適応できず、また着任早々すぐに病欠、今度は休職することになりました。休職中はゆっくり休みました。転地療養もしました。

抑うつ状態も改善されてきてお薬も減ってきたので、復職を考えることになりました。職場復帰訓練として少しずつ慣らし勤務を開始しました。

この頃、同期だった飲み友達 rio と職場の階段で再会しました。 rio とは区役所初期の頃、よく一緒に飲みに行っていましたが、僕が同棲生活を始めてから疎遠になっていました。

rio に対する恋心が再燃し、一方的に同棲生活を解消した僕。

引っ越しして新生活を始めることになりました。

そして、 rio とお付き合いを始めました。職場は復職となりました。

配属先は公害保健係、大気汚染による気管支喘息患者等の医療費給付担当でした。担当のリーダーは気難しく、よく細かく仕事のことで注意をされました。この人とはウマが合わないと感じ、疲れてきました。1年たって担当替えを希望して事業担当に替わりました。気管支喘息罹患児童の水泳教室などを担当しました。いたらなかった僕は水泳教室の会場で児童に対する安全配慮を怠り、先輩職員に怒られました。同じ年度の気管支喘息罹患児童の転地療養キャンプがあり、2泊3日の出張をしました。そして、キャンプが終わって日常業務に戻ったある日、異常な眠気を感じ、仕事を休みました。泥のように眠る僕を見て rio にクリニックを受診することを勧められました。結果は主治医の判断で「休養を要する」とのことで病欠から2度目の休職処分となりました。休職中は地元から出ずに引きこもって療養していましたが、 rio が時々コーヒーショップにお散歩に連れ出してくれました。1年間ほど休職して復職訓練に入りました。復職後もしばらくは業務軽減の配慮をいただきました。職場に正式復帰した時の担当は大気汚染医療費助成担当でした。窓口に一番近い席で落ち着いて仕事をすることが困難でした。1年間ほど頑張っていましたが、うつ病が再発、3度目の休職処分となりました。とうとう人事課からは「もうあなたは後がありませんよ」と言われました。今度は2年間以上休職しました。給料が入ってこなくなってからは共済組合の傷病手当金だけが頼りでした。わずかな貯金も枯渇し、生活費が不足した僕は銀行からお金を借りてしのぎました。

9.リワークプログラムと復職

休職の期間も限界に近づくなか、市ヶ谷にあるリワーク施設で8週間のリワークプログラムを受けました。リワークでは様々な業種の同じ病気の立場の方と一緒にプログラムを受けました。ここでは本名ではなくアノニマスネーム(ニックネーム)でお互いを呼び、連絡先の交換は禁じられていました。ここでは心理療法やストレスマネジメント、認知療法などを受けました。プログラムの途中、休んでしまい、人事課担当者からキツい注意を受けました。休んだ分プログラムの期間を延長し、リワークを終了し職場復帰訓練に入りました。

10.復職と異動

復職訓練が終了し年度替わりに課内異動となり、母子保健担当になりました。最初は窓口と里帰り妊婦健診費用助成事業を担当しました。子供のいない僕は妊婦さんの気持ちもわかるはずもなく、四苦八苦しました。疲れから年休を当日申請してたびたび休みました。母子保健2年目からは窓口に加え、委託業務、妊婦さんメールサポート事業などを担当しました。しかし、復職したからと言って病気が治ったわけではありません。疲れから休養ルームで休憩することが増えました。このことを上司や人事課に目を付けられて「職務専念義務違反」で「特定職員指導対象警告書」を受けました。人事評価も最低でとても辛い時期でした。

11.四度目の休職

もう、いっぱいいっぱいになり、クリニックへ訴えると「業務軽減を要する」との診断書をいただき、上司に提出しましたが困惑され、業務量の軽減や安全配慮の措置はまったくありませんでした。僕としては体調的にとても仕事ができる状態ではなかったので、クリニックにかかり、再び主治医から「休養を要する」旨の診断書をいただき、上司に提出しました。ただでさえ忙しい係で休養することが決まると係長から無理やり休養することを他の係員に説明するように言われました。同じ係の係員がただでさえ忙しい職場に欠員が出ることで責められるような視線を浴びて僕は何を話したか覚えてないくらい辛い時間でした。

今度は半年間の休職でリワークに入りました。市ヶ谷に通う中、もうダメかもしれないと何度も思いがよぎりました。人事課担当者からは「もう本当に後がありませんよ」と言われてしました。リワークプログラムでは利用者さん同士で交流でき、最後に卒業プレゼンテーションを発表しリワークプログラムを卒業しました。職場に戻り職場復帰訓練に入るも居場所がない感じでした。

12.復職と退職に至るまで

年度替わりに僕は主任から主事への降格を申し出ました。職場復帰して担当した仕事は「里帰り妊婦健診費用助成事業」と「委託業務」「委託業務にかかる補助金申請」でした。人員も削減され、窓口、電話応対をしながらの事務作業。前にも書きましたが復職したからと言って病気が治ったわけではありません。業務量の配慮はされておらず、1人前の仕事が与えられました。主治医から残業を禁止されていた僕は次第に業務が滞るようになってきました。そして仕事をたびたび休み、抱えきれない仕事を前にとっくに限界を超えていました。その年の6月の初めに「辞職願」を提出し受理されました。退職日は6月末日となりました。

こうして僕の27年間の職業生活に一つのピリオドが打たれました。

13.ふりかえり

職業生活では職場不適応となり、病みました。この時点で公務員にこだわらず、こじらす前に早めに決断したほうが良かったかもしれません。しかし、貯金や投資などの資産形成をしてこなかった僕は次の手を打つことができませんでした。つぶしのきかない職業を選んでしまったこと、仕事に忙殺され正常な判断ができなくなったことも理由の一つです。

まず自分あってこその仕事だと思います。また、生活防衛のための貯金や資産形成も必要です。そして職業選択やキャリアに関する将来のビジョンを持つことが必要だったと考えます。読者の皆様におかれましては僕の失敗談にお感じになることがありましたら幸いです。長くなりましたが、この辺で終わりにしたいと思います。

14.後書き

人生100年時代を見据えて…

今は自立(生活)訓練事業所アクセルトライつるみに通所。勉強、読書を通じてこれからの自己投資をしていきたいと考えます。

未来は変えられる。

最後まで長文をお読みいただき、ありがとうございました。

masa

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ブログサイト立ち上げはレンタルサーバーエックスサーバーで! WordPress設置手順

皆さま、こんにちは。いつもご訪問いただき、ありがとうございます。masa です。

今回は当ブログでレンタルしているエックスサーバーについてご紹介したいと思います。

レンタルサーバーを選ぶ際は、Webで各社レンタルサーバー比較の記事を閲覧することをおすすめします。

ここでは、レンタルサーバーエックスサーバーの契約方法・ドメイン取得・WordPressのインストールについて画面イメージでご説明します。

サーバー速度比較
サーバー速度比較

レンタルサーバー各社比較でご納得いただけたら幸いです。

・エックスサーバー契約手順。

※ドメイン:インターネット上の固有の住所にあたるもの。任意のドメインを設定できる。

1.申し込み

検索エンジンで『エックスサーバー』と入力・検索→『お申込み』をクリック。

ステップ01_10日間無料お試し新規お申し込み

ステップ02_サーバーのご契約内容を選択(始めはX10のプランで十分でしょう。)

ステップ03_「Xserverアカウントの登録へ進む」をクリック

ステップ04_お客様情報を入力

ステップ05_「次へ進む」をクリック

ステップ06_メール認証

ステップ07_「次へ進む」をクリック

ステップ08_「この内容で申込みする」をクリック

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ステップ09_(SMS・電話認証)「認証コードを取得する」をクリック

ステップ09_(SMS・電話認証)「認証コードを取得する」をクリック

ステップ10_(SMS・電話認証)「認証して申し込みを完了する」をクリック

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ステップ11_申し込み完了

ステップ11_申し込み完了

2.支払方法

ステップ01_「Xserverアカウント」にログインする

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ステップ02_「料金支払い」をクリック

ステップ02_「料金支払い」をクリック
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ステップ03_表の左端にチェックを入れ、契約期間を選択し、「支払方法を選択する」ボタンをクリック

ステップ03_表の左端にチェックを入れ、契約期間を選択し、「支払方法を選択する」ボタンをクリック

ステップ04_希望する支払い方法を選択

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ステップ05_(クレジットカードの場合)カード番号、有効期限、セキュリティコードを入力し、「確認画面へ進む」をクリック

ステップ05_(クレジットカードの場合)カード番号、有効期限、セキュリティコードを入力し、「確認画面へ進む」をクリック

ステップ06_「支払いをする」をクリック

ステップ06_「支払いをする」をクリック

ステップ07_支払い完了

ステップ07_支払い完了

3.独自ドメインの取得

ステップ01_「Xserverアカウント」にログインする

ステップ01_「Xserverアカウント」にログインする
ステップ01_「Xserverアカウント」にログインする

ステップ02_「+ドメイン取得」をクリック

ステップ02_「+ドメイン取得」をクリック

ステップ03_WordPressサイトのアドレスにしたい文字列を入力し、「ドメインを検索する」をクリック

ステップ03_WordPressサイトのアドレスにしたい文字列を入力し、「ドメインを検索する」をクリック

ステップ04_「お申し込み内容の確認とお支払いへ進む」をクリック

ステップ04_「お申し込み内容の確認とお支払いへ進む」をクリック

ステップ05_ドメイン取得料金を支払う

ステップ05_ドメイン取得料金を支払う

ステップ06_料金の支払いが反映されれば、ドメイン名の取得完了

ステップ06_料金の支払いが反映されれば、ドメイン名の取得完了

4.独自ドメイン使用の流れ

ステップ01_「サーバーパネル」にログインする

ステップ01_「サーバーパネル」にログインする

ステップ02_「ドメイン設定」をクリック

ステップ02_「ドメイン設定」をクリック

ステップ03_「ドメイン設定追加」をクリック

ステップ03_「ドメイン設定追加」をクリック

ステップ04_「確認画面へ進む」をクリック

ステップ04_「確認画面へ進む」をクリック

ステップ05_「追加する」をクリック

ステップ05_「追加する」をクリック

ステップ06_追加完了

ステップ06_追加完了

5.WordPressの設置手順

ステップ01_サーバーパネルの「WordPress簡単インストール」をクリック

ステップ01_サーバーパネルの「WordPress簡単インストール」をクリック

ステップ02_ドメイン名を選択

ステップ02_ドメイン名を選択

ステップ03_「WordPressインストール」をクリック

ステップ03_「WordPressインストール」をクリック

ステップ04_ブログ名などの必要な情報を入力し、「確認画面へ進む」をクリック

ステップ04_ブログ名などの必要な情報を入力し、「確認画面へ進む」をクリック

ステップ05_「インストールする」をクリック

ステップ05_「インストールする」をクリック

ステップ06_設置完了

ステップ06_設置完了

ステップ07_WordPressブログに実際にアクセスしてみましょう

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6.契約管理ページ・サーバーパネル

Xserverアカウント管理

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サーバーパネル

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スマホカメラの練習。

令和3年9月3日(金)、天気は雨です。

いかがお過ごしでしょうか。 masa です。

約1ヶ月前にスマートフォンを機種変更しました。

2年毎に機種変更していたのですが、前の機種『Xperia5(64GB)』が2年持たずに内部ストレージの容量不足により正常に動かなくなってしまい、やむを得ず1年8ヶ月で機種変更することになりました。

新機種は『SHARP AQUOS R6(128GB)』、ライカ監修のカメラ搭載機種です。

スマートフォンのカメラはいつもAUTOモードで使っていました。

マニュアルモードも体験してみようということで、ある街の夕暮れを撮影してみました。

まずはAUTOモード・望遠です。

ある街の夕暮れ時。
ある街の夕暮れ時。

次に、AQUOS R6 のガイドブックに載っていた色調補正の方法を試してみました。

色調補正をかけたもの。
色調補正をかけたもの。

色味が強すぎましたね。

これからこのブログのためにも、もっと勉強してゆきたいと思います。

Instagramもやっています。コチラにもどうぞいらしてください。

rio はコチラへどうぞ。

ブログやサイトを開設される方へのおすすめレンタルサーバーです。



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1980年代 J-POP REBECCA(レベッカ)編

令和三年7月27日(火)、東京は曇り空で幾分涼しいです。

皆さま、いつもご訪問いただき、ありがとうございます。 masa です。

27年間余りの職業生活であっという間に平成時代を這いずり回り、つまずき転び、メンタルを病んだ僕です。新しい経験を積む中で忘れて置いてきた想い出、僕が最も多感な時期を過ごした1970年代後半~1980年代、成長する中で経験とともに過ごした数々の音楽はGodiegoから始まりました。また、特に High School 時代、洋楽が My Boom でした。Cyndi Lauper(シンディ・ローパー)、Madonna(マドンナ)、Wham(ワム)、The Cars(カーズ)、Night Ranger(ナイトレンジャー)、Spandau Ballet(スパンダー・バレー)のTrue(トゥルー)、Tears For Fears(ティアーズ・フォー・フィアーズ)、The Bangles(バングルス)、VAN HALEN(ヴァン・ヘイレン)etc。

ジャパニーズも全く聴かなかったわけではありません。佐野元春さん、大滝詠一さん、尾崎豊さん、LOUDNESS、44 Magnumなど。

自分を殺して身を粉にして働いて、ボロボロになって退職しました。

だんだんとゆっくりと自分を取り戻してゆく時間。

度重なる引っ越しなどで紛失、処分してしまったカセットテープ、レコード。

その中で High School の友人にヴォーカル・テン(片面5分、往復10分のカセットテープ)に録音してもらった『REBECCA(レベッカ)』の「フレンズ」と「MOTOR DRIVE」、ずっと忘れていた…。

思い出した。「フレンズ」と「MOTOR DRIVE」聴きたくなった。残ったカセットテープ漁っても無い!とりあえずYouTubeで視聴してみる。LIVEの「フレンズ」しか出てこない。「MOTOR DRIVE」は途中で終わるし。

今からでもCD欲しい。できれば新品がいいけれどお小遣いちょっと足りない…。購入は保留にしておくか…。と考えていた矢先、就労移行支援事業所アクセルトライおおたのウオーキングで行った西友の中にBOOK・OFFが入っていました。迷わずCDのコーナーでREBECCAを探しました。あった!「フレンズ」が入っているアルバム「REBECCA IV Maybe Tomorrow」と「MOTOR DRIVE」が入っている「REBECCA OLIVE」。お財布持っていない!スマホは持っている!店員さんに聞いてみる!モバイルSuicaで決済できますか?と。店員さん『ええ、可能ですよ。』。その場で rio に購入して良いか電話しました。集合時間が迫っている。 rio がOK出してくれた。即決でお会計を済ませました。なんて良い日だ、Lucky,Happyな日です。

帰宅して早速PCに取り込み、スマホに転送して聴きました。

ジャケット写真や歌詞を掲載できないので(注:著作権法違反になります)、アルバムのレヴューだけにとどめます。

・REBECCA IV Maybe Tomorrow

1曲目から効かせて(聴かせて)くれます。「Hot Spice」、文字通りスパイスが効いて元気が出る曲ですね。2曲目、プライベイト・ヒロインはサビが、いかにもレベッカらしい曲です。3曲目はCotton TimeはイントロがKey(キーボード)で始まり、特徴的なBass Lineをのせたメロディーでつかの間の時間をテーマに物悲しく歌い上げています。4曲目の「76th Star」はノリが良い好きなチューンです。5曲目、光と影の誘惑(Instrumental)はピアノのサンプリング音のKeyから始まり、光のBassとDrumsのリズムにアンニュイな感じのGuitarとKeyでゆったりと奏でられた箸休め的な曲です。6曲目のボトムライン、ヴォーカルのNOKKOの良さが息継ぎに良く出ている Cool な曲、7曲目ガールズ,ブラーボー!、サビのメロディーが好き。待ってました!8曲目のフレンズ!懐かしい~あの時代に還ってきたァー!9曲目のLondon Boy、サビに向かって盛り上がりが良い曲です。ラスト10曲目アルバムのタイトルチューンであるMaybe Tomorrow、有名なバラード曲で静かにアルバムを終えます。

・REBECCA OLIVE

1曲目、アルバムのタイトルチューンであるOLIVEは”OLIVE”(オリーヴ)と呼ぶ一緒に暮らすパートナーに呼びかけるメッセージ性の強い曲。2曲目はCHEAP HIPPIES、KeyをBassにしたノリの良い曲ですね。3曲目、TENSION LIVING WITH MUSCLEは元気なHigh School Studentをテーマにしたテクニカルな曲。4曲目、キターーーーーー!何と言ってもMOTOR DRIVE、レベッカの中で一番好きな曲です。歌詞は急ぎ始めた時代を描いています。メロディー、ノリ良い。曲が終わるまで効かせて(聴かせて)くれます。平成・令和の時代も更に加速していて、置いて行かれそうな今、この曲を聴いてもノスタルジックな感じがなく新鮮です。5曲目、MOON ”English Version”、日本語のヴァージョンとまた違った Cool な感じが Good です。6曲目はNERVOUS BUT GLAMAROUS、コンガで始まり Cool なBass line の曲で歌詞は英語で歌い上げています。間奏のサキソフォンもまた渋くてカッコイイです。7曲目、WHEN A WOMAN LOVES A MAN、これもKeyのBassが効いた”恋”をテーマにした歌詞をのせるメロディーが良い曲。8曲目、RASPBERRY DREAM(DUB MIX)、BassとGuitarのカッティングのイントロから始まる有名な曲でこの曲もレベッカを代表するといっても過言ではありません。9曲目、POISON MINDはタイトルのとおり、歌詞とメロディーにちょっぴり毒が効いているヘヴィな曲です。ラストはWALKING IN THE WARM RAIN、英語の歌詞です。NOKKOのヴォーカルが伸びやかでCool なマイナーコードのバラードで終えます。

どれも佳曲ぞろい、もう最高ー!REBECCA!

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就労移行支援事業所 アクセルトライおおた 利用体験記

皆さま、いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
こんにちは。masaです。

masaの自己紹介でも少し触れさせていただきましたが、長い職業生活(27年と2か月)の中で後半はメンタルを病み、職場を休職・復職を数回繰り返し、とうとう自分の中で限界になり、平成30年6月30日付で退職いたしました。

退職後、約一年間は新しい生活を始めるため、引っ越しや、障害者手帳を申請し、障害厚生年金を受給させて頂きながら休養をとっていました。

休養生活の中で一時はふさぎ込み、退職金も目減りしていく中で、再就職を模索してハローワークを訪ねてみることを決意しました。

ハローワークの職員さんのアドバイスでいきなり就労するのはつまずくかもしれないから、『就労移行支援事業所』でリハビリ・訓練しながら、就労を目指してみてはどうですか?とのご提案をいただき、ハローワークで『就労移行支援事業所』のパンフレットを貰ってきました。

インターネットで調べたところ、端的にいうと『就労移行支援事業所』とは僕のようにメンタルを病み、退職した方が再び就労を目指す方、メンタルの不調や病気で職場を休職した方のリハビリ・復職を目指す方、障害をお持ちの方の就労支援を行う福祉サービスです。原則2年間の通所で就労・復職を目指し、行政と事業所と医療機関がそれぞれサポートしてくれます。

利用にあたっては、インターネットなどで実際に調べてみたり、通いやすいかどうか、自分に合っているかどうかを検討して、通いたい事業所にアポイントメント・相談から始めてみると良いかと思います。

僕の場合、どこの事業所が良いのかがわからなかったので、数か所ある事業所をインターネットで調べてみたりしました。最初はとある事業所にアポイントメントのメールを送信したのですが、いつまでたっても返信がありませんでした。

そこで、もう一か所の事業所にメールを送信しました。そこの事業所はホームページにメール送信フォームがあり、それに従って必要事項(僕の障害のことや事情・連絡先など)を入力していくことができました。

メールを送信して間もなく、すぐにレスポンスがあり、事業所の代表さんから折り返しのお電話をいただきました。

その事業所とは『アクセルトライおおた』です!

僕の体験談を書きますのでぜひ、この投稿も途中離脱しないでお読みいただければ幸いです。

『アクセルトライおおた』の代表さんから「一度見学にいらしてみませんか?」とおっしゃっていただき、見学に行くことを決めました。

見学では事業所を雰囲気を知ることができ、事業所利用についての流れや利用料、事業所で行っているプログラム等のをご説明を受けました。

その後、3日間の体験入所をすることになりました。体験入所は無料で受けられます。体験入所では脳を鍛えるドリルに取り組んだり、PCトレーニングなどのプログラムを体験しました。昼食も栄養バランスに配慮された無料のお弁当をいただきました。最初は緊張しながらも先輩利用者さんからも温かいお言葉をかけていただいたり、スタッフさんのサポートがあり、無事体験入所を終えました。

そうしてまずは福祉サービスを受けるために、区役所の地域庁舎の地域福祉課にアポイントメントをとりました。

福祉課では就労移行支援事業所を利用するにあたっての説明や調査を受けました。

その後、正式に事業所に入所することになり、就労訓練やプログラムを受けることになりました。

アクセルトライおおた

●プログラムでは全体講習として、
・新聞読解(代表さんが新聞記事などを取り上げて講義を受けます)
・ストレスマネジメント講座(ストレスとの向き合い方を様々な事例から学びます)
・グループワーク(利用者さん同士で協力して楽しみながら課題に挑戦します)
・SST
(ソーシャルスキルトレーニング、社会生活技能訓練、瞬発力自己紹介、瞬発力プレゼンテーションなどの訓練)
・ビジネススキルトレーニング(PC、Word、Excel、タイピング練習など)
・ウオーキング、ストレッチ(外に出て歩くことやストレッチで体をほぐし、気分転換、リラックスできます)

●個別プログラムでは、各自自分の課題を設定し、それぞれ取り組みます。
・漢字学習
・読書
・PC(Word、Excelの演習やMOS(Microsoft Office Specialist)資格の模擬試験、プログラミング、デザイン・画像加工)
・各種資格取得学習
・脳を鍛えるドリル
・軽作業訓練
・履歴書添削
・企業研修
・面接対策
・ハローワーク訪問
・その他、利用者自身で設定した課題への取り組み

●プレゼンテーション
自身が選んだテーマを利用者さん、スタッフさんに発表する機会があります。
僕も皆さんに一度プレゼンテーションさせていただき、良い経験となりました。

早いもので事業所入所2年目になりました。その間、一時的に体調を崩して思うように通所できなかったり、過剰睡眠で朝起きられず、午後から通所することもありました。

その際もその都度スタッフさんが利用者さんのそれぞれの立場に立ち、相談にのってくれます。

また、定期的に面談があり、就労・復職に向けての目標設定などを行います。

医療機関のサポート(訪問看護)もあり、体調管理につとめていただけます。

そうして多くの方がハローワーク訪問、企業訪問、企業研修などの過程を経て、就労・復職して無事事業所を卒業されていきます。必ずしもフルタイム勤務の雇用形態をとらなくても、自身の事情により、契約社員、パートタイム契約などの雇用もあります。(ですが、事業所に馴染めなかったり、体調等の事情により退所する方も中にはいらっしゃいます。)

メンタルの病気からの回復はまず、充分な休養が必要です。充分に休養して先のことも考える意欲が出てくることもあるかもしれません。就労・復職への意欲が出てきた方は就労移行支援事業所への入所を検討してみても良いですね。事業所に通うことで休養生活でやや乱れてしまった生活リズムがだんだんと整ってきます。

アクセルトライおおたでの一日のスケジュールは月曜日から金曜日は午前10時から午後3時、土曜日は午前10時30分から午後3時までです。日曜日はお休みの日です。祝日は一部お休みの日もあります。

ご自身の体調や通院、家庭の事情などがいろいろとあるかと思います。例えば週に2~3日から通所を始める方や、午前中だけ出席することや午後から出席するなどフレキシブルに対応していただけます。

また、事業所では普段のプログラムのほか、カフェトライ(お茶会、お菓子もあります。利用者さん、スタッフさんとのざっくばらんな会話やコミュニケーションの場)、ランチ会、クリスマス会(お寿司、🍰なども出ますよ~)、新年会等のイベントも開催されます。

充分な休養をとり、回復していく中で、社会復帰や就労・復職を目指したいとお考えの方は、まずは相談してみてはいかがでしょうか☎。

なお、お住いの自治体によっては、『アクセルトライおおた』は大田区にある事業所であることから、福祉サービスが受けられないケースもありますので、ご相談ください。

アクセルトライおおたウオーキングギャラリー

アクセルトライおおた』☚こちらまで。

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